9-1『逃走者、追跡者』
院生「ん……」
院生は、路地裏に雑多に積み上げられた木箱の影で目を覚ました。
院生「あれ……うわ!嘘……やだ、寝ちゃってた……!」
そして自分が置かれた状況を思い出し、そんな言葉を発する院生。
昨晩、逃げ疲れた院生は、見つけた隠れられそうな場所で少しの休息を取ろうとした。
しかし、見知らぬ町の中での逃走は予想以上に院生の体力を奪っており、彼女はそのまま寝入ってしまったのだった。
院生「こんな状況で……!我ながら抜けてるにも程があるよ……」
己の失態を恥ずかしく思いながらも、周辺に人の気配が無い事にほっとする彼女。
しかし、それも束の間。
次の瞬間には急激な不安が彼女を襲った。
院生「どうしよう……やっぱり当ても無く逃げ回るよりも、宿に戻ってみたほうがいいのかな……」
院生は考えを巡らせながら立ち上がり、木箱の影から路地の先を覗き見ようとした。
凪美兵I「ちょっと、君?」
しかしその時、突然声が掛けられ、院生は飛び上がりそうになった。
おそるおそる背後を振り向くと、そこには二人組の男達がいた。
凪美兵I「こんな所で何をしてるんだい?」
二人組は、どちらもここの警備隊の制服を纏っている。
その片割れが一歩踏み出しながら、彼女に尋ねて来た。
院生「あ……」
院生の顔が恐怖で硬直する。
凪美兵I「どうしたんだい、何かあったのか?」
一方の警備兵は、院生の事を捕縛対象とは気づいていないらしく、
様子のおかしい院生の顔を、心配そうにのぞき込んでくる。
凪美兵J「ちょっと待て、黒い髪の女……君、まさか――」
しかしその時、横に居たもう一人の警備兵が、院生の特徴に気が付き、声を上げた。
院生「ッ!」
警備兵のその言葉を聞いた瞬間、院生は身を翻して逃げ出した。
凪美兵I「あッ!君、待ちなさい!――待て!」
凪美兵J「やはり彼女が通達にあった対象だ!応援を呼ぶぞ!」
路地内の障害物をかき分けて逃げる院生の背後で、そんな声が聞こえる。
そして警笛の音が、まだ目覚め切っていない町中で響き渡った。
隊員E「今のは?」
隊員I「警笛みたいですね」
交代での短い仮眠を終え、二人体制での邦人捜索を再開した隊員Eと隊員Iの耳に、甲高い笛の音が届いたのはその時だった。
隊員E「ここの警備隊が何か見つけたのか?」
隊員I「はたして勇者か、邦人か」
呟きながら隊員Iは、そして隊員Eも、笛の音の聞こえた方向に視線を向ける。
教会から、区画を一つ挟んだ先に走る通り。
その道に面する路地から、一人の人間が掛け出てくるのが見えた。
それぞれ双眼鏡を構えた隊員Eと隊員Iの目に、その人物の詳細な容姿が映る。
この世界では自分達以外ではまず見る事の無かった、黒髪の女だった。
隊員E「発見した!おそらく彼女だッ!」
走る彼女の後ろからは、同じく路地から飛び出してきた二人組の警備兵が見える。
隊員I「追われてるようです」
邦人らしき女は必死に走っているが、その速度から追いつかれるのは時間の問題見えた。
さらに彼女の進行方向からは、応援に駆け付けたらしい別の二人組の警備兵が迫っていた。
隊員E「まずい――彼女、挟み撃ちにあったぞ……!」
隊員I「あのままだと捕まります。警備兵を排除しましょう」
言いながら隊員Iは、自分の装備である99式7.7㎜小銃を繰り出す。
隊員E「待て、本隊に発砲許可を……!」
隊員Iのその言葉と行動に、隊員Eは制止の声を掛けようとする。
隊員I「すでに、こっちの判断で撃っていいと言われてるでしょう」
しかし隊員Iは、すでに発砲の許可が下りている旨を、何を今更といった風に隊員Eに告げる。
隊員E「ッ――間違っても邦人に当てるなよ!」
隊員I「もちろん」
隊員Eの釘を刺す言葉に端的に答えると、隊員Iは99式7.7㎜小銃を構え、装着された狙撃用スコープを除く。
照準の先に警備兵の一人の背中を捉えた隊員Iは、短い照準付けの時間の後に、小銃の引き金を引いた。
進路も退路も塞がれ、いよいよ最後かと表情を強張らせた院生。
そんな彼女の耳が、パン、という乾いた破裂音を聞いたのは、その時だった。
院生「え?」
凪美兵I「――ぐぁ……」
そして、目の前に立ちはだかった警備兵が、苦し気な声を零して崩れ落ちる姿が、院生のその目に映った。
まず、立ちはだかった警備兵の内の一人に7.7㎜弾を撃ち込んだ隊員Iは、小銃のボルトを操作して、空薬莢を輩出。折り返しのボルト操作で薬室に次弾を送り込むと、次の標的に照準を合わせる。
そして引き金を引き、再び発砲音が響いた。
再び乾いた破裂音が響いた瞬間、前から迫っていたもう一人の警備兵が倒れた。
突然の現象に、院生はただ硬直している。
そして今度は、そんな彼女の背後でその現象が起きる。
破裂音と共にした、背後での物音に誘われ振り向けば、彼女を最初に発見した警備兵が地面に倒れている姿が見えた。
凪美兵J「ローグル!?糞、一体何が――」
最後に残った、院生を捕縛対象だと気付いた警備兵が声を上げかける。
しかし彼は言葉を発し切る事無く、またも破裂音が響いた瞬間に、何かに殴打されるようにのけぞり、そして地面に打ち倒された。
院生「……え……?」
少しの間、院生は何が起こったのか分からず呆気に取られていた。
しかし直後に彼女の目が、倒れた警備兵から地面に流れ出る、赤い液体を見る。
人の死。
この世界に初めて降り立ち、ファニール達に救われた時にも、一度見てはいた。
しかしあの時は混乱しており、目の前で人が死んでいく様子をまじまじと見るのは、これが初めてであった。
院生「あ……ひ……っ!」
改めて直面した人の死に、院生は小さな悲鳴を上げて狼狽えかけた。
院生「……え?」
しかしその時、彼女の目は視線の先に、教会の鐘楼で光を見た。
彼女の狼狽を阻害するように瞬き出した光は、自然現象では起こりえない、意図的な点滅を繰り返している。
そして院生の目は、鐘楼に人影を捉えた。
その正体は皆目不明であり、彼女を別種の不安と恐怖が襲う。
しかし、今の彼女にはそこを目指す以外の選択肢は無く、院生は恐る恐るといった動きで、教会を目指して駆け出した。
隊員I「よし、いい子だ。そのままこっちに来るんだ」
隊員Iはこちらに向けて駆け出した邦人の姿を追いながら呟く。
同時にその片手で持ったライトを彼女に向けて、点灯と消灯のスイッチ操作を繰り返している。
このまま彼女が教会までたどり着けば、後はヘリコプターを呼んで到着まで耐え凌ぎ、この町から脱出するだけだ。
隊員E「糞!通りの反対側から別の警備兵、分隊規模!」
しかし、別方向を監視していた隊員Eが声を上げる。
隊員Iが視線を移せば、邦人の進行方向から、今度は8~9人の警備兵の部隊が近づいて来る姿が見えた。
隊員I「対応します」
隊員E「頼む――って、わっ!?」
発しかけた隊員Eの身体に重圧がかかる。
位置を変えた隊員Iが、隊員Eの体に覆いかぶさったのだ。
二十代後半でありながら少年のような容姿体躯の高幅は、隊員Iの長身に押しつぶされる。
隊員E「お、おい!」
隊員I「我慢してください、ここが最良の位置なんです」
身を捩る孝幅に、子供に言い聞かせるように言った隊員Iは、そのまま小銃を構え直してスコープを覗く。
そして、隊列の先頭を走る警備兵に照準を着け、発砲した。
撃ち出された弾は戦闘に位置していた警備兵に命中し、警備兵はその場に崩れ落ちる。
突然の事態に、後続の警備兵達の足が止まる。
それをチャンスと、隊員Iは足を止めた警備兵の一人を照準に捉える。そしてボルト操作の後に再び引き金を引き、二人目の警備兵に7.7㎜弾を撃ち込んだ。
ボルト操作、再照準、発砲の手順を素早く繰り返し、隊員Iは小銃から立て続けに発砲音を響かせる。
狼狽していた警備兵達はそこを狙われ、三人、四人と銃弾を撃ち込まれて倒れていった。
警備兵達は、そこまで来てようやく事態に察しをつけたのか、道の両脇へと散会してゆく。
隊員Iは逃げ隠れてゆく内の一人を追いかけ、その背中に弾倉内に残った最後の一発を撃ち込んだ。
隊員I「計五人、排除もしくは負傷させました。残りは警戒して前進をためらってるようです」
隊員Eに報告を上げながら、隊員Iは弾切れを起こした小銃に、弾のまとめられたクリップを押し込み、再装填を完了させる。
隊員E「それは良かったが……早くどいてくれ!」
隊員Iに乗っかられたままの隊員Eは、再び身を捩りながら声を荒げる。
隊員E「まったく……邦人は――良し、こっちに来てる」
隊員Iの重圧から解放された隊員Eは、双眼鏡で邦人の姿を確認。
障害の無くなった通りを、邦人が順調に教会へと向かっている姿を見て、安堵の声を上げる。
しかし、教会へと向かう途中の彼女前に、路地から別の警備兵が姿を現したのはその時だった。
隊員E「まずいッ!」
その光景に、思わず声を上げる隊員E。
立ちはだかった警備兵を前に、邦人は身を翻して反対方向に逃げようとする。
しかし、警備兵の動きの方が早く、彼女は警備兵に羽交い絞めにされてしまう。
隊員E「糞!彼女が捕まったッ!」
隊員I「ッ」
隊員Eの声に反応した隊員Iは、即座に小銃をそちらへ向けて、引き金に指を掛ける。
隊員E「よせ!あの子に当たる!」
しかし、隊員Iの小銃を隊員Eがその腕で跳ね上げて、発砲を阻んだ。
邦人と警備兵の姿は完全に重なっており、撃つことは危険だと判断したのだ。
隊員I「しかし」
その間に現れた警備兵は、邦人のを羽交い絞めにしたまま、路地の影へと消えて行ってしまった。
隊員I「あーあ」
その様子に、どこか他人事のように声を零す隊員I。
隊員E「ッ、路地に入られた……」
隊員I「――いや、待った。まだ隙間から見えるかも」
失意の声を零す隊員Eに、しかし隊員Iはまだ可能性を捨てていない言葉を発する。
そして小銃のスコープを覗き、路地の延長線を予測して、視線でそれを辿る。
隊員I「見えた、見えました。あの、川沿いの建物に連れ込まれた」
そして隊員Iは、建物同士のわずかな隙間から、邦人が一つの建物に連れ込まれる姿を見た。
隊員I「絶妙な角度でした。もう少しズレてたら死角になってたな」
邦人の連れ込まれた建物を確認した隊員Iは、小銃を降ろしながらそんな言葉を零す。
隊員I「しかし、もう少しで掠め取れたんですがね。ちょっと面白くないな」
隊員E「彼女に当たったら元も子もないだろう……!」
続けて不服気にいった隊員Iに、隊員Eは語調をきつくして返す。
隊員I「まあ、そうですけど。で、どうします?我々で踏み込みますか?」
隊員E「いや――」
隊員Iの提案を否定し、鐘楼から眼下へ視線を向ける隊員E。
見れば、さらに一個分隊程の警備兵が。彼らの陣取る教会へと迫って来るのが見えた。
隊員E「警備隊に本格的に動き出された、これ以上は我々だけでは火力不足だ……」
隊員I「じゃあ、本隊に応援要請ですね」
苦々しく言う隊員Eに対して、この状況にも関わらず、緊張感の無い声で言う隊員I。
隊員E「あぁ……私が要請する。お前は外の警備兵に対応してくれ」
隊員I「了」
再び射撃体勢に移った隊員Iを横目に見ながら、隊員Eは通信回線を開き、インカムに向けて発し始めた。
隊員E「アルマジロ1-2、こちらロングショット1!ペンデュラムへ要請、〝レーベンホルムには行かない〟。繰り返す、〝レーベンホルムには行かない〟ッ!緊急展開部隊の出動願う!」
捕えられた院生は、路地を引きずられ、その奥にある建物に引きずり込まれた。
院生「放してッ!」
凪美兵K「糞、この!暴れるな!」
院生「あぅッ――!」
必死に抵抗を試みた院生は、しかし鬱陶しがった警備兵に後ろ首を殴打され、気絶してしまった。
凪美兵L「おい、なんでここに連れて来た!」
そこへ、建物内にいた別の警備兵が駆け付ける。
警備兵は、院生の姿を見て声を荒げた。
凪美兵K「しょうがないだろ……!外は今、こいつの仲間らしき奴の攻撃に晒されてるんだ。中央区域隊のヤツ等がバタバタとやられてた……!」
他の警備兵がやられていく様子を目撃していた彼は、その様子を思い返して顔を青く染める。
凪美兵L「だからって、ここが他の区域隊のやつ等にばれたらまずいのは分かってるだろう!?」
凪美兵K「分かってる!とにかくこの娘は水路で運んで、とっとと本部に引き渡しちまおう……!」